さくしかにきけばよくね

短編小説(私小説、たまにフィクション)風にして日常をお届けしてます

さぶちゃんオン・ザ・ロード

さぶちゃんオン・ザ・ロード

先日、タクシーでのお話。

 

やっぱ僕は気遣いの男なんでネ

タクシーに乗ったときのこと。

かなり高齢の男性と見受けられるその運転手さんは走り出すとすぐに世間話を振ってきた。飲み会の後だったのでちょっとウトウトしたい気もあったけれど、そこは根っからの気遣いの男である。楽し気に話しかけてくる運転手さんのご機嫌に合わせて僕はつつがなく受け答えをしていた。

「私、さぶちゃんが大好きでしてねえ。お客さん、わかります? さぶちゃん」突然話題が変わった。

ここで「北島三郎さんのこと?」なんて自信なさげに問い返すのはどうにも無粋な気がする。運転手さんもあまり良い気はしないのではないか。気遣いな男である僕は、まあ間違いはないだろうと自信たっぷりを装って「ずっと紅白に出続けて欲しかったですよね!」なんて言ってみる。

「あ、お客さん、嬉しいこと言ってくれるねえ。やっぱりそう思いますかぁ」

よかったぁー、北島のさぶちゃんで当たってた。なによりもバックミラーの中の運転手さんの喜びの笑顔が、気遣い男への最高のご褒美である。

ここから運転手さんの、さぶちゃん愛トークが始まった。僕は、それに相槌をうちながら、運転手さんから見えない低い位置でスマホを操り Wikipedia を開く。

運転手さんの話に合わせてスマホをチラ見して、「アメリカにジャズあり、フランスにシャンソンあり、日本に演歌あり。とか名言ですよね、さぶちゃん、さすが」合いの手のように言ってみる。

「馬主としてもGIを何度も制してますもんね。すごいっす」と僕が言うと、運転手さんは大きくうなずいた。ご満足していただいているなら、こちらとしても褒めがいがある。

ここでさらに「実は、僕、北島さんに詞を書いてんですよ」と言えたら最高のサプライズなのだけど、それがないのが口惜しい。川中美幸さん、水森かおりさんなど数人の演歌歌手の方には書かせていただいたけれど、北島三郎先生とはご縁がなくて。もっと僕に才能があればこういうときに面白いのになあ。

「さぶちゃんの歌で何がいちばん好き?」

僕のことを相当のさぶちゃんファンだと良いほうに勘違いしてくれたのか、運転手さんが期待まんまんの声音で尋ねてきた。

 

正直言って、紅白でよく歌われていた「まつり」とか、あとは「与作」を聴いたことあるくらいで数曲しか僕は知らない。でもそんな有名な曲をあげても運転手さんは喜ばないのではないか、もっと、こう、ツウ受けするような曲を選ぶべきだ。気遣い男としての技量が試される瞬間だ。僕はスマホをみて、ツウが好みそうだなと思い「風雪流れ旅なんか好きですね」と告げていた。(※後で調べたら、実はこれめっちゃ有名な曲だった。つまりここは僕の負けだ)

「あー、いいねー」運転手さんは唸った。「ちょっと聴こうか」そう言うとオーディオボックスをいじり、曲を頭出しした。壮大なイントロ。たぶん「風雪流れ旅」なんだろう。

「あー、いいなあ、いいよねえ」運転手さんがしみじみとつぶやくものだから、僕もついつい「鳥肌がたっちゃいますねえ」などと感無量な気分でつぶやく。

タイトルも知らない曲が次、次と流れる。運転手さんは完全にさぶちゃんワールドに酔いしれて、うっとりと恍惚な表情で聴き入っている。時々うっとりと目をつぶったりするから、おっかなくってしょうがない。

なんだか尋常じゃない雰囲気になってきた。実は音出しの時から違和感はあって、音源の質がデジタルとは言い難い、少し雑音まじりで音質がよくないのである。

「これ、ラジオの録音だったりするんですか?」と聞いてみた。

「これ? カラオケだよ」と運転手さんは言った。

「えっ? カラオケ?」

「カラオケボックスで私が歌ったのを録音したんだよ。私、機械がわからないんでね、昔のカセットテープで録ったのを孫にCDにしてもらいましてね。お客様のようにリクエストしてくださる方にお聴きかせしておるんですわ」

いや、いや、リクエストしてねえし、とは言わないけど。まあ、歌上手だったけどさぁ、さぶちゃんぽかったけどさ。「鳥肌が立っちゃいますねえ」なんて言ったことがひどく悔やまれてきた。気遣いの男が初めてノックアウトされた日かもしれない。必ず僕はまた立ち上がるけれど。

しかし、なかなかどうして素晴らしい歌唱力ではあると思う。あらためてバックミラーに映る運転手さんの顔を眺めてみた。鼻の穴がさぶちゃんに負けず劣らず大きかった。鼻穴の大きさと歌唱力にはなんらかの相関関係があるのかもしれない。