さくしかにきけばよくね

短編小説(私小説、たまにフィクション)風にして日常をお届けしてます

大助だったけど、花子がいたなんて🎵

大助だったけど、花子がいたなんて🎵

人の見た目への感覚ってそれぞれだね、の話。



ん-、わからん、わからんよー

子供の頃、法事だったか、ただのお盆だったか、久しぶりにたくさんの親戚が祖父の家に集まったときのこと。

「しず子おばさんに挨拶しておいで」

こんなとこに来るより友達と遊んでいたかったなぁと少々ムクれていた僕に、母が言った。母の視線の先を僕も目で追うと、7,8人のおばさんたちがかたまって世間話に興じていた。

「どれがしず子おばさん?」と問うと、母は当たり前のように、

 

「ほら、あの一番きれいなひとよ」と言い放った。

 

分からなかった。

僕は愚鈍な少年だったけれど図画工作美術系の成績だけはすこぶるよかった。世間一般以上の美的感覚はあると思う。母の言うきれいとは何なのだろう。僕には、むしろその反対の景色しかみえない。きれいなひとはどこにもいなかった。

「ほらー、あんたがちっちゃいころ世話してもらったんだから。早く行ってきな」

おそらく母は、説明、の意味を知らない。説明するとは、その内容が相手によく分かるように示す行為のことだ。いつも僕を罵るように使うアナタの言葉をそっくりそのまま返すぜ「辞書を引け!」

母にピンポイントで対象者の位置を確かめることもなく、僕は歩きだした。おばさんたち全員の顔がみえるよう近づき過ぎないところで立ち止まり、「しず子おばさん、こんにちは」全員に向けて声を出した。

中央の女性が、目をまんまると広げた満面の笑顔をみせてくれた。ハイ、しず子おばさん確定👍👍 こういう母を親に持つと子供は要領がよくなってくのだ。

それにしても、笑ったしず子おばさんの、その真っ白な歯のきれいなこと✨✨✨ お母さん、これっ??! って一瞬思ったけど、いくらなんでもそんな訳ぁない。

このときはじめて僕は、ひとの感覚の違いっていうのを実感したのだった。次の段落では、これとはまったく逆な話を🖊️✍️🖌️✍️🖋️✏️🖌️🖊️



おー、わかる、わかるわー

先日、後輩から飲みの誘いがあったので、もちろん即了解すると、会社の同僚も連れて行っていいですかというので、もちろんOK。「宮川大輔そっくりなヤツです」なんて言うものだから期待値もあがる。

すべらない話にもってくか、満天☆青空レストランの「おいしー!!」を言わせようか、どうやって宮川大輔そっくりさんをいじろうか、ワクワクしながら迎えた飲みの当日。やって来ました、後輩とその同僚さんが。

同僚の顔をみた瞬間、「ぜんぜん宮川大輔やないやん!」と失望するよりも早く、「あー、宮川大助やん!」と叫んでしまうほど、彼は宮川大助花子の大助さんに激似でした。

「なんで花子さん、置いてきたん?」「花子も連れてきたらよかったんにー」思わずつっこみたくなるくらい大助さんにそっくり、くりそつ。

「宮川大輔と思ってたでしょ? だいたいみんな引っかかる」後輩もよくサプライズとして楽しんでいるとのこと。

見た目への人の感覚ってさまざまだけど、ここまで雰囲気出ていると、さすがに感覚も共通するんよなあって思った夜でした。

おまけ

嘉門達夫さんの替え歌に、大助花子さんが出てくるのがあって、僕、それが大好きで大好きで。大助師匠の話が出てきたのでついでにご紹介を。

嘉門達夫替え歌メドレーの中の、ジッタリン・ジンの曲「プレゼント」のサビのワンフレーズ、

大好きだったけど、彼女がいたなんて🎵 が

大助だったけど、花子がいたなんて🎵 になってるの。

もしよかったら、ぜひぜひ一回聴いてみて。きっと延々と頭の中で流れ続けるよ😊😎