さくしかにきけばよくね

短編小説(私小説、たまにフィクション)風にして日常をお届けしてます

あの夏のスローモーション

あの夏のスローモーション

すべてがスローモーションになる瞬間ってあるね、の話。


めっちゃ笑った10歳の夏

友達3人で、僕らは海沿いの堤防を自転車で走っていた。蒼い海と青い空の間へ堤防は果てしなく長く延びている。僕らはペダルをこいだ。毎日どこかで夢中でこいでた。なんでだろ。きっとただ楽しかったんだな。ペダルが重くなった。上り坂になったから。かなりの急勾配。見上げた先まで登りきるには死に物狂いの立ちこぎが必要だった。歯を食いしばってペダルをこぐ。超重たいぜペダル。ウーンウンと声が出る。踏ん張って踏ん張って登りきった。

ブレーキをかけ、平らな堤防に足をつく。ちらと空を見やり思う「オレちょっとかっこええかも」。ひゃーと声をあげ、次のやつがたどりついた。目が合うと、やつは真っ黒に日焼けした顔に紅潮が混じった異様な顔色で、嬉しそうに笑った。白目だけが異常に真っ白だった。

僕ら2人はサドルに座ったまま振り返った姿勢で、最後の一人を待った。少し遅れていた彼は、今まさに上り坂に差し掛かったとこだった。

そして時間はスローになった

今までのスピードを活かして、彼は上り坂をグンと登り始めた。その調子で登って来い。が、すぐにスピードがなくなる。立ちこぎする彼。必死の形相。スピードがどんどん落ちていく。ペダルをこぐ動作が、あぁ止まりそう、ガンバレ、止まりそう、ガンバレ。ハラハラしながら見守っていたが、とうとうピタリと自転車が止まってしまった。その瞬間からすべてがスローモーションになった。

この状況で彼がとるべき行動は何か? 僕はまずそれを考えた。地面に足をつくことだ。当たり前だ、そうしないと自転車ごと倒れて海に落ちてしまう。ところが彼は立ちこぎの姿勢のまま、まだ登ることをあきらめていなかった。頑張っている。自転車はピタリ、止まったままだ。

嘘っ~。僕は思った。たぶん隣りの友達も同じ思いだったろう。自転車が海の方へ傾く。彼は立ちこぎ姿勢のまま。さらに傾く。立ちこぎのまま。もっと傾く。でも立ちこぎ姿勢のまま。彼はどうするつもりなのか。立ちこぎ姿勢で固まっている。いや、登ろうとしてペダルに力は入れているのだろう。ヤバッ、落ちるぞ。僕は海をのぞき込んだ。引き潮なのですぐ下はベチョベチョの砂地になっている。彼の位置からは3メートル近い高さがあるか。危険か。このベチョベチョなら死にはしないだろ。安心ではないけどちょっと安堵はした。

自転車はさらに傾き、とうとう海辺と水平になった。なんとしたことか、それでもまだ彼は立ちこぎ姿勢のままだった。ふいに可笑しさがこみあげてきた。僕は笑った。ア、ハッ、ハッ。隣の友達も笑い出した。ア、ハッ、ハッ。笑い声もスローモーションで響く。彼が立ちこぎ姿勢のまま自転車ごと落ちていく。冗談だろ? いいかげん姿勢崩せよ。立ちこぎ野郎が落ちていく。ゆっくりゆっくり落ちていく。なんだか知らんがめっちゃ面白い。笑える。ア、ハッ、ハッ。なあ、おまえこんな笑ったことある? 隣に聞く。ア、ハッ、ハッ。腹痛ぇ。人生でこんな笑ったことねえ。

浜辺まで2メートル、1メートル、ゆっくり落ちてく彼。自転車に乗った立ちこぎ姿勢のまま昆虫標本みたいに彼はベチョベチョの砂地にベタッと貼りついた。それをみて僕らはもっと笑った。ア、ハッ、ハッ。落ちた彼も昆虫標本のまま顔だけヒョイとあげて笑い始めた。ア、ハッ、ハッ。僕らもア、ハッ、ハッ。3人みんなでア、ハッ、ハッ。空はどこまでも高く、青く澄み渡っていて、僕らの笑い声だけが潮風に混じっていつまでも響いていた。スローモーションはようやく終わった。