さくしかにきけばよくね

短編小説(私小説、たまにフィクション)風にして日常をお届けしてます

後ろから自転車、来てますよぅー

後ろから自転車、来てますよぅー

女子高生とチャリンコの秘密を僕はまだ何も知らなかった、というお話。

そもそもタイヤの空気も少なかったからさ

「あ、空気入れなきゃ」自宅前で古いママチャリに颯爽とまたがったとき、確かにそうは思った。けど、空気入れを取りに玄関に戻るのも面倒くさく、まだ走れるしな、と怠けたのも後で思うとよくなかった。僕はいつもより少し重たいペダルをこいで走り出した。

商店街の道路を走っていく。天気は上々、気持ち良いそよ風、ゆるくカーブになった道を、僕はのんびり、ゆっくりゆっくり走った。重いペダルもこのときはまださほど気にはならなかった。

少し先に女子高校生らしき制服の子の自転車が止まっていた。数台が列をなしているようで、その最後尾の一台のようだった。カーブなので僕からはよく見えないが赤信号で停まっているのだろうと思った。

部活の仲間なのだろうか、数台並んで自転車移動って青春じゃん、なんておっさんくさいことを想ったりしながら、僕もブレーキをかけて止まろうとしたとき、彼女の自転車が走り出した。そして、彼女は自転車列の前方へ向かって声をあげた。

 

「後ろから自転車、来てますよぉー」

 

 

それは天使の声、のはずだった

美しい、まさに天使の声だった。後からやってきた僕を先へ進ませてあげようという、実に親切な、やさしい、配慮と慈愛に満ちた素晴らしい行為だ。こんな気配りのできる女子高生がいるのなら日本の未来は明るい、まぶしすぎるほどに。

僕はゆっくりゆっくり走りたかったのだけど、ここはどう考えても彼女のやさしさに応えるべきなので、重いペダルを踏みこんで、ボロいママチャリのスピードをあげ、彼女の自転車を追い越した。3台ほど追い越すとスペースがあったのでそこへママチャリをもぐりこませた。

その瞬間、僕は気づいてしまった。「あら、この行列は数台どころじゃないぞ」と。目の前には数十台の女子高生自転車が列を組んでいた、徒党を組んでいたと言ってもいい。しかもカーブの先はまだみえていないので、行列の総台数は計り知れない。

 

「後ろから自転車、来てますよぅー」

 

少し先を行く女子高生(そう、つまりキミは最後尾から数えて4台目の天使だね)が前方へ声をあげた。素敵だよ、ありがとう、でも僕そんなに急いでないし、タイヤの空気入れるの怠けちゃってペダルが重いんだよね、なんて説明する時間や隙があるわけもなく、僕はまたママチャリのスピードをあげた。

 

「後ろから自転車、来てますよぅー」

 

もぐりこむだけの行列のすきまを見つける前に、やさしい天使がまた声をあげた。僕は休む暇もなくペダルを踏む。

 

「後ろから自転車、来てますよぅー」

 

天使たちが前へ前へと声のタスキをつないでいく。輪唱? きみたち輪唱してるの? 素敵だね、心から素敵だと思う。僕の息があがっていく。足がしびれる。

 

「後ろから自転車、来てますよぅー」

 

もう止まってしまおうか、ブレーキをかけて地面に足を付けばいいだけだ。けど、それができない。ここで無様に止まってしまったら、きっと彼女たちはこう思うだろう。

「道を譲らせておいて、何なの?」

「自分から追い越してきたくせにねー」

そんな根も葉もないことを何十人の女子高生たちが前後でささやきあうことを想像しただけで僕は生きる力をなくしてしまいそうだった。

僕は走った。走り続けた。天使の声に追い立てられるがままに。息を切らして。


トップ・オブ・ザ・ワールド

50台、60台くらいは追い抜いただろうか。そして僕は先頭に、トップに立った。苦しみの中、僕はとうとうやり切った。後ろには、部活に青春を燃やす数十名のアスリートがいる。先頭を行く僕の力で、彼女たちには全国トップの景色を、いや世界の景色をみせてあげたい。疲れの中でふとそんな妄想に耽って、目立たぬように後ろを気にすると、信号を右折するためか彼女たちははるか後方で立ち止まっていた。

僕はなぜここにいるのだろう。今夜のビールを買いにきたはずだった。いつものスーパーはもうとうに通り越していた。今、引き返すと、彼女たちと延々とすれ違うことになる。「この人、何やってんの?」「変質者じゃないかしら」なんてささやかれるのも嫌なので、僕はさらに先の遠くのスーパーへ行くことにした。やっぱ空気入れとけばよかった。