さくしかにきけばよくね

短編小説(私小説、たまにフィクション)風にして日常をお届けしてます

ご老公ではない方の、こうもん様についての考察

ご老公ではない方の、こうもん様についての考察

人間の素晴らしい器官ANUSをもっと賞賛しよう、というお話。

 

様を付けて呼ぶべき最高の器官

人が生まれるとき、神様からたいてい一つは授けていただける素晴らしい器官、それがこうもんであります。こうもんとは言うまでもなくお尻の穴でございますね。私は子供の頃よりこの穴の持つ特殊能力が不思議で仕方ありませんでした。彼はいったいどうやって固体と気体を分別し、さらにはその一方だけを無事に穴外へ通過させるのだろう、と。おそらく多くの方が同じように思っていらっしゃることでしょう。

そりゃあまあ(個人的に)たまーにですが彼にも失敗はあります。気体を期待していたのに固体を通過させちゃって、アチャ💦となることも。大人のお漏らしってやつですな。しかし、それは私がお酒を飲み過ぎた翌朝に起きること。ポンポンが緩くなるほど泥酔する私が悪いのです。彼のせいではありません。まあ人間ですから体調がわるくお腹がゆるい時もあるでしょう。そういうとき、彼にも限界はありますから、勢いを堰き止められないことがあるかもしれません。そういう状況を計算に入れても、彼の成功率は99.999・・・%なのではないでしょうか。本当に素晴らしいことです。

では、彼のその素晴らしい能力はどのようなシステムで成り立っているのか? 調べられた方も多いと思います。私がみた資料群では、細かい分析がありながらも結論として「そういうセンサーが備わっている」というあいまいな情報がほとんどでした。つまり完全には解明されていないということ。人類の人智ではまだまだANUSの能力は計り知れないのです。とにかくすごいのです。

こうもんと聞けば、かの有名な水戸のご老公水戸黄門様が脳裏に浮かぶ方も多いでしょう。確かに黄門様は高貴なお方で立派なお仕事もされたのでしょうから、当時の人々は彼のことを様付けで黄門様と呼んだでしょう。少なくとも「おい、こうもん!」と呼び捨てにすることはないように思います。しかし、この現代、黄門様があなたに何か良いことのひとつでも残してくれましたか。なんもないでしょ? それに比べ、お尻の穴があなたへ与える恩恵はハンパありません。私たちは黄門様以上に、感謝と尊敬の意を込めて今日からは「肛門様」と呼ばせていただくことを強く推奨いたします。

 

むしろ肛門ちゃんの方がよいのかも

固体と気体をさらに具体的に、便と屁と言い換えさせていただきます。便は、ほとんどの人の場合、トイレで排出します。「わしゃ、もっぱら野グソ専門じゃ!」とにこやかに笑うオヤジには幸いにも私はまだ会ったことがありません。つまり、便は排出場所がほぼ決まっています。ところが、屁に排出場所の規定はありません。年がら年中、ところかまわず催しますし、その気になればTPOに関係なく自由に放出可能です。

小さな子供や、浜田雅功さんなどなら、ところかまわず放屁してもまだ許されるかもしれませんが、一般的な常識ある大人ですと、時と場所を選ばずに無差別放屁攻撃するわけにはいきません。

ここではちょっと我慢しよう(身体にはよくないかもしれませんが)、トイレに行くまで耐えよう、あるいは音をすかしてごまかしながら出しちゃおう、など人間としての意識の関与が大切になります。

そうです、「意識」と「肛門様」との密な連携プレイが大変重要なのです。これはそう簡単なことではありません。常日頃より連絡をとり合い、密接な関係を築いておく必要があります。まさに親友のような間柄になっておくことが望ましいのです。肛門様と他人行儀に呼んでいるようではおぼつかないかもしれません。肛門様とずっと敬い続けるのも一つの方法ではありますが、「肛門ちゃん」と呼べるフレンドリーな関係を構築する方がより健康的でハッピーになれるかも。ね、肛門ちゃん😊

これで私の考察は終了します。皆さまお幸せに。