さくしかにきけばよくね

短編小説(私小説、たまにフィクション)風にして日常をお届けしてます

す、す、住んではおらん!

す、す、住んではおらん!

人感センサーに挑んだ勇敢な男の話。

 

トイレで僕はブルブルの実の能力者になった、、、かも

それはそれは静かな場所だった。もしも今、僕の背後から一匹の蚊が隠密に迫ってきたとしても、僕はその羽音に気づき、振り向き様にソヤツを叩き落してしまえるだろう。もしかするとソヤツの極小のカラダが固い床に落ちて跳ねる音さえ聞こえてくるかもしれない。そこはそれほどの静寂を保ったロビーだった。

その建物は、市営図書館に隣接した、市の歴史物を保管展示している博物館のような施設だった。図書室で調べ物をしていて軽い便意をもよおした僕は、どうせなら普段から気になっていたこの建物のトイレをお借りしようじゃないかと思い、ふらりと素浪人のように立ち寄ってみたのだ。

観覧者も、施設を管理しているような人も、誰一人見当たらない。市のお偉い人の胸像が鈍色に佇み、まるで幽霊のように暗い目をしてこちらをみている。真昼間なのに節電のためなのか、ロビーの照明も仄かに灯っている感じだ。

「静寂、音のない世界というのもいいものだな」シャー・アズナブル風の声音で僕はつぶやく。ガヤガヤした街の、ザワザワした飲み屋などに身を置くことが多い自分にとって、この場所こそ一服のオアシスのように感じられた。

トイレはロビーの最も奥まった場所にあった。ここまで奥に来ると照明はさらに仄暗さを増していた。一般のトイレもあったが落ち着いて本も読みたいと思い、多目的トイレに入ることにした。これだけ誰もいないのなら少々の時間なら使用させてもらってもよいのではなかろうかとの判断だった。

個室はかなり広々としていた。便座に座り、おもむろにいつも持ち歩いている文庫本を開く。あー、落ち着く。幸せだ。幸せに過ぎる。生きていてよかったと思う瞬間だ。

と、幸福感に包まれて読書していたら、フッと灯りが消え、真っ暗になった。

 

センサーだな。人感センサーが設置されているトイレなのだと察した。そりゃあ建物全体であれだけ節電しているのだ、トイレも然りだろう。節電、とてもよいことじゃないか。僕は右腕を蜘蛛の巣を払うように大きく振ってみた。するとすぐに照明が灯った。何かの動きに反応するタイプなのだな、素晴らしい。

文庫の、物語の世界へまた没頭する。と、また電気が消えた。僕は腕を払う。灯りが点灯する。幸せな読書。消灯。腕を振り払う。個室内が明るくなる。読書。消灯。動作。点灯・・・

あの、これ、消灯までの時間が短くね? 僕の体感だと、1分くらいの間隔なんだけど。短くないかなあ。どこのトイレでもこんなものなのかなあ。これ、設定できるよね? 時間設定を間違えてんじゃねえ? 僕の幸せな時間に、文字通り、不穏な「影」「闇」が忍び寄ってきている気がした。

しかしながら、僕は知っている。幸せというものは得てしてけして長続きしないものだということを、長年の経験上から理解している。ならば、どうすればいいか。そう、幸せは歩いて来ない、待ってても、ましてや諦めてはいけない、幸せは自分の手で、行動してつかみとるのだ!

今後、一瞬たりとも暗闇にしてなるものか! 僕はカラダを、特に上半身を小刻みに動かした。そう、ダンスを踊るように、ズンチャズンチャとリズムをとるように上体を動かし続けた。人感システムよ、さあ、感知し続けるがよい!

暗闇は訪れない。あはは、どうだ、僕の勝ちだな。しかし、だ。このままずっと踊り続けるのもどうかと思う。便器に座ってノリノリ踊る自分の姿を、客観的に想像してみたら情けない気もしてきた。親にも、子にも、見せられない、見せたくない。もしもこの姿、有様を、SNSで全世界に生中継されていたとしたら、僕はもう二度と立ち直れないかもしれない。いや、そもそも、ダンスしてたら読書ができない。僕は何をしたいんだ? そうだ、静寂の中で、落ち着いて本を読みたいのだ。

僕はまた本を読んだ。要するに何かが動いていればいいんだろ、発声による体の動きだって、もしかしたら空気の動きだって・・・ そう思って、声を出して読んだ。ちょっと大き目な声で朗読した。

 

奇跡は起こった。いつまでたっても電気は消えない。どういう仕組みで人感センサーが消灯を我慢してくれているのか不明だが、暗闇はやってこない。昼に食べたおにぎりの梅干しが、空気や時空を震わせるブルブルの実だったのかもしれない。僕が能力者になったとしか思えないほど、不思議な、そして幸運な現象だった。

調子に乗ってしばらく朗読を続けていたら、コン、コン、コン、ドアをノックする音が聞こえた。「お客様ー、大丈夫ですか?」との声。僕は瞬間、返事につまる。

「なんか変なお経みたいな声がずっと聞こえてたんだ、絶対、中には居るはずだぞ」先ほどとは違う男性の声がする。たぶん、この男性が僕の朗読の声を聞いて施設の従業員を伴ってきたのだろう。僕はまだ返答ができない。

「おーい、さっきからおまえずっと何やってんだよ!」と男性が怒鳴る。もしかすると僕が気づかなかっただけで、彼は多目的トイレの使用を待っていたのかもしれない。

「こら、おまえ、ここに住んでんのか!」男性がさらに怒鳴る。

住んではおらんわ! と言い返すこともできず、さあてどんな顔して、どんな言い訳してここから出ようかと考えながら、僕はウォシュレットのボタンを押した。まずはお尻をきれいにして、ズボンをあげて、それからだ。

ああ、恥ずかし🥹