さくしかにきけばよくね

短編小説(私小説、たまにフィクション)風にして日常をお届けしてます

なんだかかの賞をいただいた「息子への手紙」

なんだかかの賞をいただいた「息子への手紙」

きみはぼくのたからものだよっていうお手紙のお話。

 

今も変わらず泣き虫なパパですが😭

何か記事をアップしようと思ったら何も思いつかなくて💦 さてどうしようかと探したら、ずいぶん前になんだかかの賞(もう覚えてないけど、確か「たからもの」をテーマにしたお手紙のコンクールだったような気がする)に送って、大賞ではなかったけれどナントカという賞をいただいたものをアップします。小さかった子供がかわいくて仕方なかった頃を思い出すなあ。

キミはパパのたからもの

〇〇くんへ

キミはよくパパのことをかっこいいと言ってくれるけど、じつはパパはどんどんかっこわるくなってんだぞ。今朝だってそうさ。幼稚園バスに乗るキミをお見送りするとき、パパは腕がちぎれるほどずっとずっと大きく大きく手をふってただろ? キミの姿が見えなくなってから気づいたんだけど、まわりのママさんたちがみんなパパをみて笑ってたよ。あちゃー、かっこわるぅって。顔があかくなったよ。パパ、昔はもっとクールであんなにはしゃいだりすることなかったんだよ。きっとパパの昔のお友達が今のパパを見たらあんなずっこけてるようなパパを信じないと思うよ。

それにね、パパは、まぁ昔から涙もろいほうではあったんだけどさ、キミが生まれてからというものは、いったい涙ってからだの中にどれだけつまっているんだろう、というくらい毎日ボロボロボロボロあふれるほどに泣いているよ。ドラマや映画やニュースで子供が不幸だったりすると、もしそれがキミだったらと思うと涙がとまらないんだよ。親子のきずなの話だったら、それがぜんぶキミとパパの話のようで涙がとまらないんだ。

二人でファインディング・ニモを映画館で観たときもさ、パパは想像力が豊かだからさ、普通の映画でも最初の数分を観ただけでエンディングを想像して泣くことはあるけども、あの映画はおさかな親子のきずなの話だからさ、もうそれだけで胸がつまってきてさ、想像力がもっともっとたくさん働いてね、映画が始まる前のダイヤモンドとかの宣伝のところからもうボロボロボロボロ涙があふれてしまっていたんだよ。映画が始まるずっと前の宣伝のときからすでに泣いてる大人なんてきっと世界でパパだけだな。キミに見つからないように必死で声をおさえていたけどね。なっ、かっこわるいだろ?

パパはいつだってすぐにキミを抱きしめようとするし、ベタベタするしね、キミは男の子だから嫌なときもあるだろう。そんなパパはよそのシャンとした立派なおとうさんからするとかなりかっこわるいと思う。

でもね、パパはもうかっこわるくてもいいと思っているんだよ。もうママいがいの女の人にモテる必要もないしさ、よその大人たちといちいち比べることもいらないと思っているから。パパが考える「かっこよさ」は昔と変わったんだ。大切で大切で大切で世界でいちばん大切なものをふつうに大切に守りたいとおもうとき、ひとはかっこわるいものになるんだよ。そういうかっこわるさって、じつは、ほんとうはいちばんかっこいいのかもしれないよな。

キミはパパの大切な大切なたからものだから。パパがこれからもっともっとかっこわるくなってもよろしくな。