初恋(恋愛私小説Vol.4)
思い出してみませんか、初恋のときのあなたの心の風景を。
君との「もしかして」という夢想が、今も時々僕を支えてくれています
実家にある僕の机の引き出しの奥に、一枚の古い年賀状が忍んでいる。帰省すると僕は必ずその黄ばんだ葉書を手に取り、色あせた文字とイラストをながめる。するといつも心の片隅から聞こえてくる声がある。それは少年だった僕の声で、決まってこう言うんだ「ありがとう、Uちゃん」って。
・・・
Uちゃんとはたぶん小学一年から同じクラスだったと思う。なぜ、たぶん、かというと当時の僕は「学校」と「女子」にまったく興味がなかったから、その2つに関してはあまり覚えていないのだ。授業中は黒板など見もせずノートに漫画ばかり描いていたし、それさえ少し飽きれば鼻くそまるめて窓から指ではじいたり、もっとやることがなくなるとボリボリと頭を掻いて(前夜にお風呂に入っていなければ)落ちてくるフケを丁寧に集めてはただフーッと無意味に吹き飛ばす、というようなまったく生産性のないようなことばかりやってるアホガキだったので、そりゃあもうそもそも女子を気にするタイプでも気にされるタイプでもないのは自明の理だった。
そんな僕でも小学3年になるころには、クラスに友達もたくさんいた。ただ、男子ばかり。ガキんちょのくせにすでに硬派を気取っていたような気もするが、もしかすると本当は女子に興味がありすぎて逆に関わるのを恐れていたのかもしれない。あえて女子には無視を決め込んでいた。
ただ、Uちゃんのことはなんだか気になって遠くからちょこちょこ見ていた。Uちゃんは勉強もスポーツも何でもよくできる子だった。なのに、でしゃばるではなく、ひかえめで、いつもやさしく微笑んでいる印象がある。学級委員もよくやってたし、そんな性格だからきっと男子からも人気があっただろう。
そんなUちゃんとよく目が合うようになった。今から思えば、僕がちょこちょこ見てたから必然的に目が合あっただけなんだろうけど、当時はそんなふうには考えられなかったから、「なんだよ、こっち見んな!」ちょっと腹立たしい気持ちで慌てて目を反らしていた。ただ、そもそもUちゃんのデフォルトの表情がやわらかな笑顔だから、目を反らした後も、やさしい微笑みが僕の瞳の中にどうしてもしばらく残像として残ってしまうのだった。あの表情がデフォじゃなく僕だけに向いたものならいいのに、なんて夜寝る前に少し考えたりもした。
その年が明けた新年、郵便箱に届いた年賀状の中に、Kさんからの葉書があった。KさんはUちゃんの大親友で二人はいつも一緒に行動していた。からだが大きく、明るく、朗らか、いつもクラスを明るく照らしているような女の子だった。Uちゃんからも年賀状が届いたので嬉しかったのだけど、そのKさんの年賀状にはさらに嬉しいことが書かれていた。明けましておめでとうの余白にわりと大きく、Uちゃんと僕の名前で「相合傘」が書かれてあったのだ。
冗談かもしれない。からかってるだけなんだろう。そうは思うけど、あのKさんの性格からして果たしてそんなことするだろうか。いったい僕はこの色鮮やかに描かれた「相合傘」マークから何を読み取り、学べばよいのだろう。
翌2日、僕は同じクラスの仲の良い男子の家を急襲し、どんな年賀状が来とるの?と尋ねて見せてもらった。UちゃんからもKさんからも届いていたからちょっと不満だったけど、Kさんの年賀状に相合傘なんて書かれてなかった。僕は心でガッツポーズ。とりあえず、みんなに宛ててそういうことはされていないようだ。
「年賀状相合傘大事変」があったからといって、新しい年に何か変化があったかといえば、まるで何にもなく、僕はあいかわらず勉強もせず、漫画やいろんな工作・物創り、昆虫などに没頭し、野山を駆け回り、遊んでばかりいて、Uちゃんは勉強とスポーツ、みんなから愛される日々を送っていた。ただ、僕らの目が合う回数は減ってしまっていた。僕が気にし過ぎてUちゃんをあえて見ないようにしていたからだと思う。
5年生になる新年、Kさんの年賀状にはまた相合傘が描かれていた。昨年と違って、なんか複雑な気分がした。Uちゃんからも年賀状が届いていた。裏面を見た瞬間、僕は息をのんだ。そこにもUちゃんと僕の名前で相合傘が描かれていた。本人も書いてくれたんだ・・・ 僕は炬燵にもぐりこんで、いつまでも葉書をながめていた。
新学期になって、先生が告げた言葉に僕のからだは固まった。Uちゃんが春を待たずに転校する、という。僕の頭の中はUちゃんからの年賀状でいっぱいになった。相合傘が頭の中をぐるぐる回っていた。
Uちゃん家が引っ越す前々日に、Kさんから我が家に電話があった。女子から家に電話がきたのは初めてのことだった。思えば、学校でもKさんとはほとんど話したことがなかった。「Uちゃんがお別れの挨拶をしたいって」Kさんはそう言うと、時間と場所を付け加えた。僕は、うん、としか言えなかった。「絶対、行ってね」と言ってKさんは電話を切った。けっきょく僕は「うん」の一言しかしゃべることがなかった。感謝の言葉くらい言えただろうに・・・
僕は二日間をかけて、Uちゃんの似顔絵を描いた。今までで一番上手に心をこめようと思って一生懸命に描いた。念のために絵の裏っ側に僕の住所と電話番号も書いた。小さな額も作ったし、あとはUちゃんに渡すだけだった。けれど・・・
けっきょく僕は、Uちゃんに会いに行かなかった。なぜ行けなかったのか、怖気づいたのか、勇気がなかったのか、理由は今でもわからない。何かが怖くなったってことは確かだろう。さようならって言葉を聞きたくなかったのかもしれない。とにかく僕は逃げてしまった。Uちゃんは本当にその場所にいてくれたのか、もしかしたら長い時間待ってくれたのだろうか。あの日は晴れていた。あの空の青さだけは覚えている。
運命って言葉はもう使いたくない
僕は近くの公立中学へ進学した。さすがに小学生の頃のアホアホ加減からは少しは成長していたと思うが、女子に対してのこじらせ、コミュ障はその加減を増していた。
入学式当日、掲示板に貼られたクラス分けの一覧表を見上げたまま、僕は茫然と立ち尽くした。同じクラスの女子の欄にUちゃんの名前があったからだ。これは運命だ、と本気で思った。ただ同姓同名ということもある。クラスへ急いだ。
Uちゃんは居た。身長は僕と同じくらい伸びていたし、髪もあの頃よりずいぶんショートになっていたけれど、隣に座る女子と話しているあのやさしい微笑み、面影はまったく変わっていなかった。
Uちゃんが教室内を探すようなしぐさをして、そして瞬間、僕らは目が合った。変わらない笑顔。僕は急いでそっぽを向いた。ああ、なぜ微笑みで返すくらいのことができないのだろう。本当になにも成長していない。
入学式の体育館へ向かう流れの中、横に並ぶようにして「同じクラスで、よかった」と言うと、Uちゃんは僕をすぐ追い越して行った。その背中をみつめて、僕はただ小さく「うん」と言った。
翌日から授業が始まっても、僕らは特に仲良く話すようなこともなかった。僕の女子コミュ障のせいもあるだろう。Uちゃんはバスケ部に入った。転校した小学校でも活躍していたらしく、この中学でも一年生ながらすでにエース格で迎えられていた。そりゃそうだろう、Uちゃんなら納得だ。
僕も同じように体育館を使う部活に入ったから、自分の部活もそこそこに、バスケットのボールを追うUちゃんをよく目で追いかけていた。Uちゃんのプレイも汗も笑顔もすべてが僕には眩しすぎて、それに比べて自分の存在の平凡さを悲しく思うこともあった。
僕はUちゃんにずっと恋をしていた。おそらく片思いの、初恋・・・
ゴールデンウィークを少し過ぎたころだったろうか、Uちゃんが学校を休みがちになった。やがて入院していると噂が流れて、病名は白血病だという話が広まった。当時の僕は病気の重篤度など知りもしなかったが、その病名の大変さはさすがにきいたことがあった。え、もしそれが本当なら、と、おそろしく不安になった。でも、ついこないだまであんなに活き活きとバスケットに汗を流していた彼女が、例えどんな病気だとしても簡単に負けるはずがない、僕はそう信じた。信じて祈るしかなかった。
夏休みになり、9月になってもUちゃんの姿はクラスになかった。僕は決めていた。Uちゃんが戻ってきたら、生まれて初めての告白をしようと。小学生のときに渡せなかった似顔絵をあらためて謝って渡そう。今、僕はギターも始めて、曲も作ってるんだ。Uちゃんのために歌も作ろう。似顔絵と一緒にオリジナル曲のカセットも渡そう。そして謝るんだ、告白しよう。こんな僕ではUちゃんとは釣り合わないかもしれないけど、頼りないかもしれないけど。
秋も深まった頃、担任の先生が、Uちゃんが亡くなったことを告げた。
小学生での転校のときもそうだ、まったく教師ってのはろくなことを言わない! ろくなことしか言わないじゃないか! まったく、まったく・・・
僕も大人になって、いくつかの恋をした。うまくいかない恋もあるけど、僕はそのたびにいつも思ったよ。「そりゃそうだ、僕が本来、一生一緒にいる人はUちゃんだったんだもの」って。Uちゃんに告白したとしてもゴメンナサイされた可能性の方が高いのにね、おかしいね、相変わらずアホだよね。
でも、そうやって、Uちゃんはいつまでもずっと僕の支えになってくれています。ありがとうね。
ただ、僕はもう運命という言葉は信じない。Uちゃんが初恋を僕にくれたことが運命ならばそれは嬉しいけど、人生の流れがすべて運命で決められていたら、それはちょっと過酷すぎると思うから。
Uちゃんに初恋したのは運命じゃなく、僕が決めたことだから。
了