さくしかにきけばよくね

短編小説(私小説、たまにフィクション)風にして日常をお届けしてます

ストリート・ファイターへの道

ストリート・ファイターへの道

喧嘩したことも、ましてや人を殴ったこともない男が、ファイターになりかけた話。

痛いのとか嫌やねん

痛いのは嫌だ。痛み、には恐怖しか感じない。だから、もしも拷問なんかにかけられたら、たとえそれが国家を転覆させるような重大な機密情報であろうが、親友の浮気相手の名前であろうが、僕を特別かわいがってくれる社長さんがひた隠しにしている性癖であろうが、これ絶対誰にも言っちゃだめよと毎回言ってくる近所のおばさんの戯言であろうが、すぐに吐く。一秒で吐いちゃう。知ってることはあらいざらい、知らないことでも適当にすべて言う。だって、痛いの嫌だもん。

そんな僕なのでもちろん殴り合いの喧嘩なんてしたこともない。したいとも思わない。けれど男には「やらねばならぬときがある」なんて思う瞬間が、避けられない状況が、降ってわいてくるときがある。それは愛する人を守るためというような高尚なものではない。だいたいが、ただ酔っ払いなときだ。

大学3年の僕は一つ下の後輩と居酒屋で飲んでいた。二人ともかなり酔っており、それはもう、飲んでいる、というより、騒いでいる、といってもよかっただろう。バカな学生、迷惑な客、クソガキ、たぶんまわりのお客さん達からはいろんな呼ばれ方で疎まれていたと思う。今更ですが、あのときは本当にごめんなさい。

その日、うるさく飲んでいたのは僕らだけではなかった。僕らと同じようなテンションいやそれ以上にボルテージがあがっているアホ学生2名が、同じ座敷内で盛り上がっていた。座敷の角と角、対角線上で、2組のアホ学生が、そのアホさ加減でしのぎを削っているような恰好だった。

やがて、やつらが、会話に節目をつくり、こちらを睨むようになった。「アホ猿山を仕切るリーダーは俺達なんだよ」やつらの視線がそう言っているように僕には思えた。絡まれたら面倒だなと思ったが、特に心配はしなかった。酔って気が大きくなっているせいもあるが、目の前の後輩の存在が大きかった。彼は高校時代はラグビー、大学ではプロレス研究会という、たいそう頼もしいガタイを持っていた。腕っぷしは誰にも負けない。しかも僕を慕ってくれていて必ず僕を守ってくれるからだ。

両雄並び立たず、もとい、両愚並び立たず。案の定、やつらが因縁をつけてきた。ぐちゃぐちゃといろいろ言ってるようだが、奴らの怒りの理由はさっぱりわからなかった。けど、もうそんなことも何でもどうでもいい。酔いというのはホント恐ろしいもので、表へ出ろということになり、流れるようにストリートファイトが決定した。

 

ビビリにまさる強さなし

居酒屋を出ると、夜空には下弦の月がかかっていた。まだ夏の匂いをかすかに残す気持ちのよい風が吹いている。土地勘のある僕らが先頭になり、ほど近い空き地へ向かって歩いた。

ふいにそれとなく後ろを気にすると、やつらのうちの一人がさっきまで僕が感じていたよりも意外にデカいことに気づいた。まさかそんなことはないとは思うが、

 

もし後輩が真っ先に負けてしまったら、僕の運命はどうなるんだ!

 

急に不安がわいてきた。

そうだった、僕は刃牙でもケンシロウでもなかった。痛いのが何より怖い、ただのビビリだった。ファイターになれるわけがない。後輩に合図して、走って逃げようか。いや、そうなれば、やつらはきっと弱そうな僕に的を絞って追いかけてくるだろう。どうすればいいか、空き地に着くまでもう時間はない。

そういえば、あれだけ騒いでいたはずなのにやけにおとなしくないか。特に小さいほう、振り向いても目を合わせないし、歩みも遅れがちだ。なんとかなるかもしれない。僕も歩くのを遅らせて小さいほうと並んでみた。

「おまえが言ってたの、あれ誤解だぜ」

「何が?」小さいほうが僕をみる。目にさほど力がない。いけるかも。

「おれらがガンつけてたのは、おまえらへじゃないよ」

居酒屋でこいつがわめいてた因縁の理由は何ひとつわからなかったけれど、とりあえず僕らがにらんだことが気に入らないという架空の理由をこしらえてみた。

「あん? 嘘つけや」つっかかるふりはしてくるのか。

「おまえらのことなんて見てない。おまえらの向こうにいたやつが気に入らなかっただけよ」

小さいほうは黙って睨み返してくる。こいつらの向こうは壁だったから、そこに他の客がいるはずはない。小さいほうもそれはわかっているだろう。作り話で手打ちにしようという僕なりの合図だった。

「ああ、そうか。おい、行くぞ」と小さいほうは大きいやつに向かって言った。

「えっ、何で?」と大きいやつ。

「なんか間違いがあったんだってよ。しょーもね、行こ、行こ」小さいほうはきびすを返して、大きいヤツの腕をこづいた。

おまえもビビッてたんだなー、と僕はひとりごちた。そしてせめて最後に、やつらの背中へ捨て台詞のひとつでも投げてやろうかと思ったとき、小さいほうが振り向いてこう言った。

「こんくらいで勘弁しといたらあ!」

それは僕が投げてやろうかと思ったセリフと似ていた。やつも新喜劇みて育ったくちかもしれない。

そして、きっと拷問に1秒であらいざらい吐くやつだ。同じタイプで助かった。