クリスマスだからじゃないのだ
ありのままの気持ちをあるがままに伝えたいから僕らは言葉を考える、というお話。
今年の思い出にすべて君がいる
カーラジオから懐かしい歌が流れてきた。
ただ、僕が持ってたCDでは桑田佳祐さんのソロボーカルだったのに、ユーミンの声も聴こえてくる。どうやら「Kissin' Christmas(クリスマスだからじゃない)」が新たにデュエット歌唱でリメイクされ、12月20日にシングルリリースされるらしい。素晴らしい! 奇跡のコラボだ。しかも曲後半には「恋人がサンタクロース」や「波乗りジョニー」、「ルージュの伝言」などの一部もマッシュアップされてたりして、感動しちゃった。クリスマスだからじゃないと謳われてますけど、素敵なX’masプレゼントです。
初めてこの楽曲を聴いたときのことは忘れられない。
🎵今年の思い出にすべて君がいる🎶
サビの最後のこのフレーズに完全ノックアウトされちゃって。そして、もう、悔しくて、悔しくて、悔しくて、ほんともう泣きそうだった。何が悔しかったかというと、「このフレーズ僕が書きたかった!!」から。悔しくてのたうちまわったよ。いや、このフレーズに近しいのを思い付いていたというわけじゃないし、もちろんユーミン(作詞松任谷由実になっている)と僕との間にある果てしない才能の違いは重々承知しておるから、おまえごときが何をほざいとる!とのお叱りを受けるかもしれん。
ただね、僕の身体の中にはこのフレーズ(気持ち)が確実にあるのよ、心の中に確かに存在しとるのよ。身体の中にあるモノなら体外へ取り出せばいいはずでしょ? 外に向かって表現できればいいことでしょ? なぜ取り出すことができなかったのか、それは僕が怠慢だったから、怠け者だったから、自分の限界を超えようと努力しなかったから。たくさん詞(ボツも含めて)を書いてきたんだからその度に、もっと、もっと、もっとって限界突破の努力をしていたら、どこかでこんなフレーズ(気持ち)を取り出せた可能性はあったはず。だって、僕の身体の中にある気持ちなんだから。必ず表現できたはずなんだ。今でも悔しいし、羨ましい。
この場合とは真逆で、羨ましいけど全然悔しくないってこともある。
例えば、一青窈さんのハナミズキ。
🎵君と好きな人が百年続きますように🎶
初めて聴いたとき、そうとう心が動いたよ。なんて素敵なフレーズなんだろうって、心打たれた。うちのめされたといってもいい。とても羨ましく思った、けど悔しさなんてまったくなかった。だって、僕の身体の中にこの気持ちがほぼ存在しないから。ないものは取り出しようがない。ない袖は振れないのだ。
僕は、どちらかというと、君と好きな人の楽しそうな恋に嫉妬しちゃう、実に心の狭い人間です。愛するよりも愛されたいとしか願えないちっぽけなヤツなんです。だから、好きな人の恋が百年続きますようにと祈ることができる人をとても羨ましく思うし、あこがれるし、そういう人になりたいとは本気で思います。
身体の中に気持ちや想いがなくても、想像力を膨らませて企画力を駆使して「心地よい言葉」や「見栄えのするフレーズ」を書くことは、もちろんできる。けれど、そういう言葉ってたいして人の心を打たないような気がするよ。ユーミンも一青さんも心にあるものを取り出してるからこそ多くの人が感動しているのだと思う。無理して造った言葉で同じようなフレーズがあったとしても、それはどうかなあ。
もし今、謝りたい人がいたら、心にあるそのままを言葉にして謝罪しよう。(政治家らの謝罪とかまったく響かんもんね。心にないことしか言ってないから)。もし今、好きな人がいるなら、心を覗いてあるがままを言葉にして伝えよう。本当に伝えたい言葉は、自分の心を覗いて、覗いて、覗きこんで、探す努力をすれば、必ず適切な言葉がみつかるはず。人生は真心の言葉を探して伝える旅なのかもよん。
今回カッコつけちゃったな、恥ずい💦←←←←←心の声
了